2010年10月31日日曜日

決してあきらめない、ということ

大学前の広場
修士1年が終わり、進路が決まった。結論から言うと、研究科の言語学コース修士2年でフランス語学を専攻することになった。去年度は職業科のフランス語教授法コースにいたので、つまりコース変更。とはいえ内容が被っているので、この結果には満足以上。
夏休みが明けてからこの進路が決まるまで、1ヶ月半かかった。その間、先が見えぬまま、暗闇を一歩一歩、ランプで足元を照らしながら歩んでいく道のりだった。別に不安はない。ただ、足元を照らして一歩を踏み出したら、次の一歩が見えるまで焦らずに待つ。それだけ。人生って暗闇だから、ずっと先まで見えていないのは当たり前。で、この道へのたどり着き方が面白かったので、(備忘録をかねて)ご紹介。

まず、9月の初めに論文提出と七つの追試を受け、9月末の結果発表を待った。平均10点以下だと留年、10~12点は学位をもらえる(フランスの大学院は、学位が修士1年と2年で別れているため)ものの、留年も進級もできず、他大に編入などしなくてはならない、グレーゾーン。12~13点の人には口頭試問のチャンスが施され場合によって進級可、13点以上で修士2年への進級確定、となっている。そして私は愚かにも準備不足がたたり、当然のごとく、このグレーゾーンに入ってしまった。中にはグレーゾーンに入らないために、追試を棄権したり、わざと論文を提出せずに早々に留年を決めた人が少なからず、いる。しかし、口頭試問の直前になって、このグレーゾーンが1点引き下げられた。つまり、11~13点の人が口頭試問のチャンスに与ることになったのだ。途中で諦めるなんて、もってのほか!

さて、それでも相変わらずグレーゾーンのままの私は失意の中、とりあえず口頭試問の日に学部事務所に行ってみた。口頭試問のお願いをしたけれど、勿論受け入れられず、事務所のマダムと押し問答をしているところ、コース変更できることを示唆された。

え、できるの?

ならコース変更して研究科の言語学専攻・修士1年に行こう、と思った。実は職業科から研究科に転科するかどうかという点では、去年、さんざん迷って答えが見つからなかったポイントだったのだ。で、研究科に行くには論文のテーマを決めて、指導してくれる教授を見つけなければいけない。事務所のマダムには、面接直前にコース変更の書類を取りに来なさい、と言われておとなしく帰った。
そして、教授選び。研究テーマをいくつか挙げ、関連する教授たちに手当たり次第、メールを送り、返事をくれた教授に面接を依頼する。そうして、初めての面接前、言われた通り事務所に立ち寄って書類をもらった。

あれ?

よく見ると、研究科修士2年の入学許可書だった。研究科2年に行くにしても13点以上が基準とされているはずだけど、間違えたのか? いずれにせよ、ラッキー! 後は教授にサインをもらえば合格。

で、一番初めに面接することになったL教授は、たまたま口頭試問を断られた帰りに友人が勧めてくれた先生だったけれど、すぐに相性が合うことがわかった。コース変更にも理解を示してくれ、用意していった研究テーマ9つの中から、私が一番好きなテーマを選んでくれた。おまけに研究科長だけど、人柄もよさそうで話しやすく、生徒がたくさん相談に来ている。でも、L教授には、修士1年からすることを勧められた。とりあえず、次回、書類をもってくることを伝え、その場を後にした。

その後、他の先生にも会ってみる。けど、関心分野が微妙にずれている。それでも引き受けてあげられるけど、と言われてすごく迷う。相性の合う先生と修士1年をするか、合わない先生と修士2年をするか・・・。

とても悩んだ末、L教授との2回目の面接前夜、やはり妥協はできない。L先生の下で修士2年で研究したい。それならそうと、もう一度、きちんと頼んでみよう、この道は開かれる、という不思議な確信が与えられた。そして、先生を説得できる要素を用意して、翌日の面接に臨んだ。
いざL先生の研究室に着くと、先週のごとく、学生が列をなしている。並びながら知り合った日本人の女の子と話していると、彼女は去年からL先生の下にいるとのこと。彼女曰く、「修士1年とか2年とか余計なことは言わず、ここにサインしてください、って言って書類を出すだけでいいよ」とアドバイスしてくれた。で、私の番。実際、そうしたら、先生、あっけなくサインしてくれた。

「それじゃ、再来週までに論文を書くために読む文献リストを用意してきてね。」だって(笑)

なんなんだ!

神様の開いてくださった奇跡の扉に、満面の笑みがこぼれた。感謝でいっぱい。(けどこれじゃまるでギャグなので、この1年は本気で頑張ることにした。)
つまりこのことを通して言いたいのは、「決して最後まで、いやたとえ最後がきても、決して、諦めちゃいけない!」ということ。

サロン・ドゥ・ショコラ

パリでは年に1回、サロン・ドゥ・ショコラというチョコレートのエクスポをやっています。
今年は10月28日~11月1日まで。行ってきました!

パリでエクスポがあると、大概、使われるのはポルト・ドゥ・ヴェルサイユPortes de Versailles という、パリ南にある大規模エクスポ用の会場。東京でいう、ビックサイトのような位置づけです。ピエール・エルメやジャン・ポール・エヴァンなど有名どころに加え、ベルギー・スイスなどヨーロッパの各国からも出展。ブランドだけでなく、スーパーで売っているチョコレート会社や地方のショコラティエまでさまざまに出展。サダハル・アオキやトーキョー・チョコレートなど、日本のショコラティエたちも頑張っていました。試食自由なので、友人から袋を持っていくよう勧められていたにもかかわらず、忘れてしまい、30個ほど、全て口の中に放り込みました^^; 最後には味の見分けがつかず、緑茶をいただいて帰ってきました。ネスプレッソが緑茶を淹れるマシーンを展示していたのが印象的。コーヒーと同じように、カプセルを入れてボタンを押すだけで飲める要領です。別の日にはコンペティションやチョコを使った洋服のファッションショーもあったよう。以下、写真にてご紹介。

エクスポ会場

チョコレートの原料に使う香辛料


サダハル・アオキはこちらでも人気。フランス人の友人達も気に入っていました

ネスプレッソのキャンペーンガール。左の子は日本の着物を着ているつもり

チョコレートを使ったお洋服

2010年10月8日金曜日

パリで働きはじめる

 
学校の廊下
 
今年の初めから、学業の傍らできる仕事を少しずつ探し始め、ようやく納得する仕事に決まりました。

日本人の子供向けの塾講師です。完全に仕事と割り切って応募したのですが、蓋をあけてみると意外にも、私の専門であるフランス語も教えさせていただくことになったり、はたまた提携先のフランスの私立一貫校で日本人の子供たちを対象にしたクラスをいくつか受けもつことになったり。新たな世界が広がりつつあります。しかもこの学校、自宅から近くって、いったい!

ということで、小学生~高校生までの子どもたちにフランス語や国語などを教えはじめました。といっても、クラスの人数は少ないですが、子供たちと接することができて、とても楽しいです。目の前で様々な予期せぬ反応が返ってくるから純粋に面白いし、外国に来て日本の不調なニュースをうかがう中で、日本の将来を担う子供たちへの教育の大切さを感じるようにもなっていました。もちろん、授業で自分が関わることで彼らの人生を変えたりなんかはできないとしても、何らかのヒントやきっかけ、良い影響力を与えられたらなと思っています。せっかく与えられたこの機会、子供たちとたくさん、学んでいきたいと思っています!