肝心の大学院ですが、入学した安心感から、いつしか中だるみし、目標を見失いがちになっていました。しかし、先日の帰国で今後の目標を見つめなおし、再考する良い機会となりました。私の場合、場所を変えると違う目線でものごとを水平に考えられます。
授業はと言えば、ICレコーダーで録音し、友人にノートを借りてコピーさせてもらって復習しています。おそらく日本語で説明されても難しい講義をフランス語で理解するのには、まだもう少し、時間がかかりそうです。だって、日本語で「形態素が・・・」と話されてもピンときませんよね?
初めは友達ができるか不安だったり、知らない人にノートを借りるのに気が重くなったり低レベルな悩みを抱えていましたが、最近はさすがに気の合う友達もできて、クラスの誰とでも話せるようになりました。分からないなりにも授業に来ていると、自然と顔見知りになり、一体感みたいなものが生まれるような気がします。
中途半端な授業の隙間時間には、近くに住むクラスメートの家に行ってノートを借りたり、情報交換をしたりお昼を食べたりしています。なんだか院生というより、日本の大学生っぽいです。
ところでクラスの5分の1はフランス人で、残りの5分の1は中国人、他はヨーロッパ諸国(イタリア、スペイン、デンマーク)や、アフリカ(アルジェリアや中央アフリカ)やアメリカ、トルコ、南米など、本当に世界各国から来ています。ちなみに日本人は他にいません。
一般的に、フランスの修士課程は外国人率が高いらしいことと、「外国人のためのフランス語教授法」という分野も影響していると思います。
特に中国人の子たちですが、真剣そのものです。教室の中央前方を皆で陣取り、やる気がみなぎっています。フランスの大学は学費がほぼ無料(年間5万円前後)なのですが、それが当たり前と思っているフランス人より、むろん意識も高く、教授を目指していたりします。休み時間に時を惜しむように勉強したり、ランチにお弁当を持って来ている中国人学生たちを見ると、経済格差とそれがもたらすものを意識します。そしてごく当たり前にカフェやランチにお金を使うフランス人学生やまた自分自身を見ると、豊かであることのプラス面とマイナス面を考えずにおれません。
授業自体はと言うと、うーん。予想よりゆるいです。授業は大学院にしては週16時間と多いですが、プレゼンなどないので、自分の裁量でガシガシ進めていかないと、身に着きません。基本的な知識が足りないので、日本語の言語学の本を買って補いはじめました。でもそうして主体的になったことで、ようやく面白くなってきました。しかし、どこに住んで所属していようとも、結局は学ぼうという意欲であって、環境はその後押しをしてくれるに過ぎないという結論に達しました。私は意思が弱いので、こうして勉強せざるを得ない環境に身を置いたことは、やはり良かったと思います。
実は後期に20時間、語学学校でフランス語を教える研修をしなくてはなりません。受入先を探していましたが、5件目にしてやっと決まりました。教授の紹介で6月末に1週間、南仏に行ってきます。交通費も宿泊費もタダと聞いてワクワクしていましたが、なんと、世界でも有名な核実験施設だそうです。実験と聞いて、さすがに少し怖くなりました。もう少し自分で探してみて、ココは最後の切り札にしようと思います。
ちなみに前期の試験は勉強していればできるという意味では思ったより簡単でしたが、正直、冬の重苦しさに精神的にやられて勉強が手につかなかったため、結果はイマイチでした。後期のテストと足して2で割った点数で進級が決まるので、それに再起をかけます!!
2010年3月24日水曜日
2010年3月23日火曜日
一時帰国
(早朝6時半の北京空港)実は3月始めに日本に一時帰国していました。
この1年間、帰りたいと思ったことは一度もなかったのですが、今回、クリスマス休み直後に試験を迎え、そして1月末~2月始めにかけて試験休みを過ごし、またもや3月に遅めの冬休みを迎えるにあたって、気持ちに余裕ができたことと、また休みかという思いもあり、よし帰ろう! と思いたちました。出発の3日前に飛行機を予約して2週間、帰国してきました。
途中、天候の関係で北京に一泊しましたが、久々の日本は、懐かしく新鮮でした。なんというか、道路もきれいで、町が清潔でよく整備されていて、美しい行き届いた国だなあ、と思いました。外国人観光客のように日本のありふれた風景をバチバチと撮ってしまいました。第一、道路に犬のフンやハトの死骸が落ちてたり、落ち葉を積もり積もるまま放置したり、日本ではしませんしね! パリではよく、落ち葉を道路に雪のようにどっさりと積もらせていますが、邪魔だし、衛生上、どうかと思います。
そして、パリに戻ったら戻ったで、やはり歴史的建造物の美しさ、重厚さに目を奪われ、おとぎ話の世界に迷いこんだ気分に一瞬なって嬉しくなったり、色々な人種の人が人目を気にせず動いていたり、メトロや道路や、人のファッションすらも無造作で行き届いていない感じに、これまた懐かしさと変な心地よさ、そしてフランス語をずっと聞いていられることに喜びをおぼえました。
最近はさすがに観光客目線が抜けて、視点がどうやらフランスと日本の間をうようよ泳いでいるような気がします。日本人として、日本的感覚も忘れず大事にしたいものです!
2010年3月15日月曜日
フランス式年越しパーティ

さて、冬の真っ暗なパリをさびしく過ごすなか、ルームメイトのフランス人の友人が年越しパーティに誘ってくれました。パーティにはたまに行きますが、定員9名のパーティとのことで、かなりこじんまりしていました。
フランス式パーティといっても色々ありますが、普通は18~20時までカクテルの時間で、飲み物とおつまみで団らんします。20時すぎから立食またはテーブルにつき、夕食スタート。この日は遅れてきた人がいたため、22時すぎから食事を始めました。テーブルに座るタイプの場合、主催者があらかじめ座席指定しており、テーブルに紙でできたネームタグが並べてあります。普通は男女交互になるよう指定してあります。流れで座ってもいいような気がしますが、これはたぶん、誰がどこの席に座るというのが歴史的にかつての王国フランスでは重要だったからと思われます。
フランス式パーティといっても色々ありますが、普通は18~20時までカクテルの時間で、飲み物とおつまみで団らんします。20時すぎから立食またはテーブルにつき、夕食スタート。この日は遅れてきた人がいたため、22時すぎから食事を始めました。テーブルに座るタイプの場合、主催者があらかじめ座席指定しており、テーブルに紙でできたネームタグが並べてあります。普通は男女交互になるよう指定してあります。流れで座ってもいいような気がしますが、これはたぶん、誰がどこの席に座るというのが歴史的にかつての王国フランスでは重要だったからと思われます。
夕食はラクレットというチーズ料理でした。薄切りのチーズが数種類、用意されており、1つずつプレートにのせ、温まったらジャガイモの上にかけて食べる料理です。お鍋やお好み焼きのような感覚で、みんなでワイワイできるのでパーティに人気だそうです。私は話しながら食べつつで、チーズを温めすぎて、何度かポコポコと破裂させてしまいました。
そして夜0時、まだ食べ終わらぬうちに、開けたばかりのシャンパンを片手に、TVに合わせてカウントダウン。かんぱーい! しました。(フランス語ではSanté!と言います)
夕食後、デザートが終わると、普通は音楽がかかって踊るか、団らんを続けるか、お開きとなりますが、この日は来ていた人が大学院生と学校の先生で落ち着いたパーティだったこともあり、わりと静かにトランプやゲームをして遊びました。
年越しといえど、一晩中パーティをするのは疲れるだろうな、と思っていましたが、意外にもポーカーなどしているうちに、本当にあっ、という間に朝になりました。実は大みそかのパリ市内はとても危ないそうで、大家さんには「夜は出歩かず、朝帰りしなさい。」と言われていました。特にシャンゼリゼは危ないらしく、車に火をつけて燃やしたり、亡くなったりする人が毎年いるようです。
招かれたお家が郊外で一軒家だったためか、はたまた来ていた人たちが皆、とても親切で感じがよかったためか、はたまた少人数のパーティだったためか・・・なんだか本当に家族で過ごしているように感じられ、この時間に魔法をかけ、瓶に入れてとっておきたいような、思い出深いパーティとなりました。
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